青山あこの一歩一歩。

なりたい自分になるためにはどうしたらいいんだ!ってことを真剣に楽しく考えて始めて紹介していくブログです

信じすぎてもダメなのか…!

こんにちは、青山あこです。

今日のテーマは、「過信」です。

先日、自分自身のちょっとした過信から痛い目をみたので、そのお話をしようかなと思います。まずは、自分に対しての「過信」から。

自分のお話

職場でのことです。とある作業ルールというか、手順について、私の意見と他のスタッフさんの意見が食い違うという事がありました。私は、勤務歴1年、相手のスタッフさんは、勤務歴3年以上だったかと思います。後から考えれば、どちらの判断が正しいのかなんて一目瞭然なのですが、私は、自分は間違っていないと思い込み、相手の主張が間違っているかのような発言をしてしまいました。結果、相手方の判断が正しいということが判明して、もう反省しきりでした。

自分を「過信」したことで、自分が失敗すること、謝ることならば、全然問題はないのだけれど、少しでも誰かを責めるような言動をしてしまったことは、大きな後悔となりました。落ち着け自分。もう甘えていいような経験値ではないけれど、まだまだ過信していいほどの経験値でもないだろうと思い直すきっかけとなりました。

友人とのお話

もう一つは、誰かを「過信」しての失敗です。これも、つい最近のお話です。友人から、転職についての相談に乗って欲しいとの連絡がきました。日中は仕事なので、連絡するのは夜になるとのことでした。LINEで良いとのことだったけれど、なかなか重要な相談だと思い、こまめにスマホをチェックしていました。けれど、待てど暮らせど連絡は来ない。日付をまたぎ、今日は仕事が忙しかったのだろうと待つのを諦め、就寝前にふとLINEのタイムラインを覗いてみると、当の友人がリアルタイムで洋画を鑑賞した感想を残していました。

もうがっかり。

その一言しかでませんでした。

だから、お前が悪いのか?

自分としては、その友人に対して、精一杯の心配と誠意を持って対応しようとしていたつもりでした。けれども、友人にとっては、そこまで重要な話ではなかったか、私がそこまでの存在ではなかったのでしょう。けれども、ここで傷つくのはお門違いじゃないかと思い直しました。私は、相談に乗って欲しいと、連絡するという言葉を信じすぎただけではないのかと思うんです。これまでも、約束をドタキャンされることがあったことを含めると、「それでも」と友人を信じた私の「過信」が、自分自身を傷つけたのであって、その出来事で私はショックを受けたのではないと考えました。

自分に自身がなくなって始めたこのブログで、信じすぎて痛い目をみたお話を綴るとは思ってもみませんでしたが(笑)

いつまでも引きずってても仕方ないので、このブログと共に気持ちも昇華させよう。

痛みも糧に、明日も一歩。

青山あこ。